Tr.1 Milestone Dependance
Artist : CiphleX vs Risky Shift
Genre : Techno
Tr.2 Crossline
Artist : CiphleX feat.OИE AI
Genre : Techno
Tr.3 Reveal the Veil
Artist : CiphleX vs C_N-extage vs Risky Shift
Genre : Hard Techno
Tr.4 Another Mother
Artist : CiphleX & C_N-extage
Genre : Pop
Tr.5 Song For U
Artist : Ciphlex & No.13 feat.可不
Genre : Pop
Tr.6 しろからつむぐものがたり
Artist : CiphleX & No.13 feat. 可不&OИE AI
Genre : Pop
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19年秋に出しましたX-1(ぺけのいち)
21年秋に出しましたX-2(ぺけのに)
22年春に出しましたX-3(ぺけのさん)
の続編 ていうかX-なんちゃら4部作の第四部
まぁ最終作品。
(先にX-3のテーマもとい駄文を読んできて)
私は、 いかなる理由があろうと、
その人の地位や肩書きに合わせて、
話の聞き方を変える人間が
嫌いです。
私は大小構わず先人の生み出した叡智を、
その叡智の構造も把握しようとせず、
振りかざす、丸乗りする人間が嫌いです。
深いところまで派生するとすなわち
私は、達観した人も嫌いです。
どんな叡智にも必ず伸び代があり、
その叡智に新たな叡智が枝葉のごとく継ぎ足され、
私たちの知りうる叡智となっているのです。
我々が真の意味で達観を許されるのはいつか。
その叡智の継ぎ足しが完遂した時ではないでしょうか。
すなわち、我々の認知しうるあらゆる発現を、
言語化もしくは実体化したときではないでしょうか。
それより前に発生する達観は、
あくまで証明への道筋となりうる程度の
不完全かつファジィな概念を
認知した程度に過ぎないのではないでしょうか。
現時点における達観は、肝心の説明すべき部分で
自分の胸に手を当てて考えてみてくださいを繰り返し、
論理的飛躍を内包したまま、堂々最後にQ.E.D.と記している
それ以上でもそれ以下でもないことに相違ありません。
なりようがありません。
誰一人この究極の叡智の完成に到達してませんからね。
まぁ、そもそもそんなんに到達してたら、
それが明文化されて記されていたら、
心理学もAIなんてとっくに完成してるでしょっていう。
そんな完成してすらいない命題に対して、
わかるとか、自分は正しいとかのたまうのは
叡智そのものや、叡智を生み出した数多の賢者に対する
厚顔無恥甚だしい冒涜行為と言わず何というべきでしょうか。
まだ誰一人、その究極の領域に到達していません。
究極の地の果てへの登頂者が現れるその瞬間に
必ず起きる激震が顕現していないからです。
しかし、その奇蹟に近づけるのであれば、
私は枝にでも葉にでも成ろう。
なれるものなら。
そもそも成らずしては触れることすら叶いませんから。
あちらの言葉を借りればアストラルに。
私はアストラルの中核に触れたい。
無粋極まりない行為は承知の上ながら、
仮にそのクオリアに名前を持たせるとすれば…
Another Mother
とでも呼んでみましょうか。
Another Motherは近づけば離れるし、
振り返ったらすぐそばにいる。
いたずら妖精みたいな概念。
人は学ぶけど、同時にある程度学んだ時、
理解できました!と、学習を止めてしまう節もある。
それもものすごいたくさんのきっかけがある。
もしかしたら間違えてるかもしれないとか、
もしかしたらメタ概念があるかもしれないとか、
飽くなき探究心でとめどなく深堀していっていいんじゃないの?
まぁ、正確にはそれをやらずして説明不可能な話を、
それをやらずして説明不可能であることすら理解できてないほど、
理解の浅い人間が、厚顔無恥はなはだしい醜態晒しながら、
穴だらけの持論を説くケースでありふれてるじゃないですか。
我々が簡単に感じることですらそんなことが横行してるんだから、
我々にとって難しいことにおいてはむしろより多くの割合で、
跳梁跋扈してて然るべきなんじゃないかな?
べきっていうか…ねぇ。うん。
Another Motherが寄り添ってくれる人は、
理解しようと、証明完了しようと、
学習の終着点がそもそも存在しないんじゃないかな。
「私は正しい」に対する興味自体がないんじゃないかな。
まぁなんだ。 ちょっと言葉にするのが難しいんだけど、
万物において深掘りをし続けて、
いーーーっぱい学ぶことを楽しんで、
なんで? いや? もしかしたら! をいっぱい積み重ねて、
たくさんの座標軸を生成して、
最終的にその全てのベクトルが交わる
中心点を寸分狂わずプロットできた人が、
Another Motherとお話しできるんじゃないかな。
なんて気がします。
人は学び続けて強くなれる生き物ですし。
最後に。
いっぱいいろんなことを学んでいると、
次第に現代の言葉では説明つかなくなることが見つかってくるんです。
私はそのクオリアを、どうにかして音や造語に落とし込もうと
その組み合わせでなんとなく説明ができる、そんな気がして。
いろんな曲を書いてきてます。
そしてこれからも続けます。
本作品群「X」は、その中のとても重要な1着地点に過ぎません。
思いの丈を長いテキストにまとめ、そのテキストを音に落とし込む形で、
その着地点の景色を勝手ながら案内させていただいた次第です。
何か一つでも景色が見えたとしたら大変幸いです。
最後はいつもあちらで書かせていただいてるワードで、
着地点X 仮称Another Motherの観光ガイドの締めくくりとし、
一度筆を置くことといたします。
X-5以降は、皆様の言葉で
是非紡いで行ってください。
それでは。
さぁ、お話ししましょう。
音楽を通じて。
だるせ〜にょ。 せーにょたぶんX-2あたり。